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第六話 査定面接

ผู้เขียน: 海野雫
last update วันที่เผยแพร่: 2026-04-06 11:00:30

 夜中のベッドの中で、真尋はスマホの画面をぼんやりと眺めていた。颯太からのメッセージを、何度も読み返している。

『お前の隣人の一ノ瀬晃。月虹のバーテンダーと大学の同級生だ。関西学院大の同じゼミ出身。お前と一ノ瀬が出会ったの、仕込みじゃないのか?』

 文字は追いかけているのに、頭がその意味を受けつけようとしない。

 いや、きっとたまたまだ。同じゼミ出身だから、知り合いのバーに飲みにきただけだ。あの夜、たまたま真尋もいただけで、それ以上の意味はない。

 だってあの日は、颯太に誘われるがまま月虹に行ったのだ。真尋がバーに行くなんて、事前にわかっていたはずがない。

 ……でも。

 片桐が晃を真尋の隣に座らせたのは事実だ。あの自然な「こちらへどうぞ」。空いている席は他にもあったはずなのに、そこに座らせた。

 だからってなにも決まったわけじゃない。知り合いの客がきたから、空いてる席に案内しただけかもしれない。

 ぐるぐると同じ考えが行ったり来たりする。信じたい気持ちと、疑わざるを得ない事実が頭の中でぶつかり合い、真尋はどちらにも傾けずにいた。

 髪をくしゃっと掴んで、真尋はため息をついた。

「……もう寝よう。考えすぎたら余計にわかんなくなる」

 枕に顔を埋めたが、なかなか寝つけなかった。何度も寝返りを打っては、壁のほうに目をやる。今夜は壁の向こうから鼻歌が聞こえない。それがかえって気になり、余計に眠れなかった。

 しばらくスマホをいじって時間をやり過ごしていると、またメッセージが届いた。

『明日、お前の家に行く。あいつに会わせろ』

 颯太からだった。

「……かあちゃんかよ」

 思わず笑ってしまった。やっぱり颯太は、心配でたまらないのだ。

『会えるかどうかわからないけど、とりあえずうちに来いよ』

 そう返信すると、胸の奥にすこしだけ安心感が広がった。颯太だけは、ずっと味方でいてくれる。今はそれだけわかっていればいい。

 翌朝の十時、颯太がやってきた。インターホンが鳴り、画面を見ると、がっしりした体を縮こまらせてカメラを覗き込む颯太が映っていた。

「やっぱりお前は有言実行だな」

「ったり前だろ。大事な友達のためだ」

「お前はもうちょっと俺を信用してくれてもいいんだけどな」

「信用してるから来てんだよ。お前の判断力じゃなくて、お前自身を」

 返す言葉がなかった。

 颯太は部屋に上がりながら、紙袋を真尋に手渡した。

「ほい、差し入れ。お前これ好きだろ?」

 中身を確認すると、グアテマラ産のコーヒー豆が入っていた。真尋がハンドドリップで好んで使っている銘柄だ。

「うわ、サンキュ! ちょうど切れてて、買わなきゃと思ってたんだ」

「そうか。よかった」

 颯太は真尋の頭をくしゃっと撫でた。昔からそうだ。真尋が落ち込んでいるときは、黙って頭を撫でてくる。その手つきが兄みたいで、真尋はくすぐったくなって顔をそらした。

「せっかくだから、これでコーヒー淹れるわ」

 キッチンに向かいながら、思わず鼻歌が出た。数小節歌ってから、それが晃の鼻歌だと気づき、口を閉じた。

 ……いつのまに覚えたんだ。

 颯太には気づかれていないようだった。ほっと息をつく。

「そういや、このマンション壁薄いから、あんまり大きい声でしゃべんなよ」

「え? そうなのか」

「隣の部屋に聞こえるんだよ」

「ああ、そうか。だったらお隣さんも呼べば?」

「……は?」

「だってお前、顔見知りなんだろ?」

 颯太はわざとらしいほど大きな声で言った。壁越しに晃に聞こえるように。

「ま、まあ……」

 颯太はわざわざ晃に会うためにきている。それを考えると、断る理由もなかった。

「……わかったよ」

 部屋を出て、隣のインターホンを押す。指先がすこしだけ震えた。

「はーい」

 扉が開くと、晃がメガネにTシャツ姿で立っていた。手には紙袋——また差し入れだ。

「あ、真尋さん。ちょうど今持っていこうと思ってたんですよ」

「あ……いつもありがとうございます」

「全然。好きでやってるんで。ところで、なにか用事でした?」

 さっきの颯太との会話は聞こえていただろうか。壁は薄い。でも晃の表情からは読み取れなかった。

「実は友達がうちに来てて。よかったら一緒に話しませんか」

「うれしいなぁ。真尋さんが家に呼んでくれるなんて」

 晃の顔がぱっと明るくなった。この笑顔が演技だとは、どうしても思えない。

「でも、いいんですか? お友達がいらしてるのに」

「うん、友達もいいって言ってるし」

「じゃあ、お昼一緒に食べません? ちょうどカレー作ったんで」

 晃の部屋からスパイスの匂いが漂ってきた。クミンとコリアンダーの複雑な香り。

「お言葉に甘えて……」

 晃は部屋に戻ると、鍋と差し入れの紙袋を抱えてきた。真尋が鍋を受け取ると、ずっしりと重くてあたたかかった。

「初めまして。一ノ瀬晃です」

「どうも。藤野颯太です」

 晃はにこやかに手を差しだした。颯太もにこりと笑って握手を返す。表面上は和やかだが、颯太の目が笑っていないのを真尋は見逃さなかった。あの目は、仕事でプレゼンを見極めるときの目だ。

「と、とりあえず座って。コーヒー淹れるから」

「ありがとうございます。あ、真尋さんの部屋、きれいにしてますね」

「そんなことないですよ……」

 晃はきょろきょろと部屋を見回している。本棚に目が止まったらしく、「いい本並んでますね」とほほえんだ。颯太はそんな晃の一挙一動を、表情を変えずに観察していた。

 真尋はキッチンに逃げた。

 グラインダーで豆を挽く。ザリザリという音に紛れて、リビングから颯太と晃の声が聞こえてくる。世間話をしているようだが、颯太の声にはかすかな警戒が滲んでいた。

 ドリッパーにフィルターをセットし、挽いた豆を入れる。沸かした湯をポットから、細く「の」の字を描くように注ぐ。コーヒーの香りが立ち昇った瞬間、真尋は大きく息を吸った。この匂いだけは裏切らない。

 三人分のカップをテーブルに運ぶと、晃はにこにこと颯太を見ているのに対し、颯太は腕を組んで晃を観察していた。真尋がカップを置くと、ふたりが同時にこちらを向いた。

「ありがとう、真尋」

「真尋さん、ありがとうございます」

 声がぴったり重なって、真尋は思わず体をびくっとさせた。

「ところで一ノ瀬さん」

 颯太がコーヒーをひと口飲んで、切りだした。

「この辺に引っ越されたきっかけって、なにかあるんですか?」

 初手からジャブだ。真尋は内心ひやりとしたが、晃は怯む様子もなく答えた。

「都会の喧騒から離れたくて。この辺は静かでいいなと思ったんです」

「なるほど。前はどの辺に?」

「渋谷のほうです」

「渋谷。それはまた、ずいぶん便利なところから来ましたね」

「職場が渋谷なんで、近かったんですけどね」

「じゃあ今は通勤が遠くなったわけですか」

「まあ、そうですけど。静かな環境のほうが合ってるみたいで」

「なるほど。内見とかはいつされたんですか」

「平日に有給を取って来ました。ちょうど消化しなきゃいけなかったんで」

 晃はよどみなく答えている。颯太のいじわるな質問にも、余裕のある笑みを崩さない。まるでプレゼンに慣れた人間の受け答えだ――と真尋は思った。広告代理店で働いていると言っていたから、人前で話すことには慣れているのだろう。

 あまりにも空気が張り詰めてきたので、真尋はふたりにカレーを勧めた。

「お昼にしない? 晃さんのカレー、あったまったよ」

「あ、俺も手伝います」

 晃がキッチンについてきた。鍋を火にかけてカレーを温めていると、スパイスの香りが部屋中に広がる。

「このスパイス、自分でブレンドしたんですよ」

 晃が小声で言った。真尋との距離が近い。キッチンの狭さのせいだが、腕がかすめそうな距離にどきりとする。

「え、すごい……」

「真尋さんのコーヒーもすごいですよ。プロみたいだった」

 そう言ってほほえむ晃の横顔を見ていると、この人が嘘をつくなんて信じられなくなる。キッチンに立つ晃の動きは手慣れていて、真尋の家の食器の場所も、聞くなりすぐに覚えてしまった。よそう量も、真尋には多め、颯太にはもっと多め。体格を見て調整しているらしい。そういう細やかさが、晃という人間だった。

 カレーを食べながら、颯太の質問は続いた。

「一ノ瀬さんは本がお好きなんですってね」

「はい。それで真尋さんともバーで意気投合しまして」

 晃が真尋のほうを見て、にっこりと笑った。あの夜の記憶がよぎって、真尋は頬が熱くなった。

 この熱はスパイスカレーのせいだ。絶対にそうだ。

「で、書店にはよく行かれるんですか?」

 その瞬間、晃のスプーンがわずかに止まった。

 ほんの一瞬。誰にも気づかれないほど短い間。けれど真尋は、それを見逃さなかった。

「ええ。そうですね、週に二回ほど」

「週二回。月に八回ぐらいですか」

「だいたいそのくらいですかね」

「結構行かれるんですね」

「本が好きなので……」

 晃はカレーに目を落とした。

 週二回。月八回。同僚の山田さんが言うには、真尋がシフトに入っている日には必ず晃を見かけるという。真尋は月に二十日ほど出勤している。もし本当にシフトの日だけ来ているなら、月八回では足りない。

 でも、真尋自身が書店で晃に会うのは月に一、二回だ。残りの日は、真尋に見つからないように来て帰っているということなのか。

 それとも、山田さんの記憶違いか。

 スプーンでカレーをかき混ぜながら、真尋はちらりと晃を見た。晃はなにごともなかったように、颯太とカレーの味の話をしている。「スパイスは専門店で買うんですよ」「へえ、凝ってますね」。颯太の声は穏やかだが、目はまだ観察を続けていた。

 なにが本当なのかわからない。わからないけれど、さっきの「間」が、胸に刺さった小さな棘のように残った。

 食事を終えると、晃が「そろそろ失礼します」と腰を上げた。

「もうすこしゆっくりしていけばいいのに」

「いえ、せっかくお友達がいらしてるんですから。おふたりでゆっくりしてください」

 晃は鍋を抱えて、笑顔で帰っていった。「ごちそうさまでした」と真尋が言うと、「お粗末さまです」と返して、穏やかにドアを閉めた。

 その穏やかさが、今はすこしだけ不気味に思えてしまう自分がいやだった。

 晃が帰ったあと、颯太は腕を組んだまま、しばらく黙っていた。

「飯はうまかった」

「だろ?」

「けどな。あいつ、なにか隠してる」

 颯太の眉間にしわが深く刻まれている。

「料理はうまいし、感じもいい。けど、書店の質問のときに一瞬、間が空いた。あれは考えて答えを選んでいる間だ。俺は仕事でプレゼンを見てるから、嘘をつくときの『間』ってわかるんだよ」

「……そう、かな」

「あと、渋谷から引っ越してきた理由だ。『静かだから』って言ってたけど、渋谷に住んでた人間が目黒のこの辺を選ぶか? もっと静かな場所なんていくらでもある。それなのに、わざわざここを選んだ」

 颯太は真尋をまっすぐ見た。

「お前の隣の部屋を、だ」

「……」

「俺の勘が外れたこと、ないだろ?」

 真尋は黙った。確かに颯太の勘は鋭い。ただ、たまに外れることも真尋は知っている。でも今回ばかりは、外れてほしいと祈るような気持ちだった。

 颯太を見送ったあと、部屋の片づけをしながら、晃の言葉を反芻していた。

「渋谷のほうです」

 渋谷から目黒。路線も方角も違う。通勤時間は確実に長くなる。「静かな環境が好き」という理由だけで、わざわざ引っ越すだろうか。

 それに、書店の頻度を聞かれたときの、あの間。あれはなんだったのか。

 やっぱり晃はなにか隠しているのだろうか。

 けれど、人は誰でも隠しごとのひとつやふたつある。真尋だって、晃とワンナイトしたことを颯太以外の誰にも話していない。

 きっと気のせいだ。晃さんはただの本好きの隣人で、料理が得意で、笑顔がやわらかい人。それだけだ。

 真尋はその違和感を、また見て見ぬふりをした。壁の向こうから、かすかに鍋を洗う水音が聞こえた。やがてそれが止んで、しばらくして、あの鼻歌がはじまった。

 聞き慣れたメロディに、真尋の肩からすこしだけ力が抜けた。こんなにもこの鼻歌に安心してしまう自分が、すこしだけこわかった。

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